MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第9回


   家族

 エセラ、十一歳。

 書くと、頭の中を整理できる。
 だから、書いているだけ。
 これが後裔記だとは、誤解しないでほしい。

 ぼくの頭の中には、息恒循の教学書で学んだ数々の断片が{放|ほ}ったくられている。
 依然、大きな努力はせず、{己|おの}の命はこの浦町に生き、この家に宿り続けている。
 平時の子どもなら、それでも合格だ。

 でも{美童|みわら}は、天命の定めと、その流に{順|したご}うて生きる。
 そして、学徒学年から門人学年に進級すると、立命期の大仕事に取り掛かる。
 この世のすべての常識を疑い、町も家も{棄|す}て、旅立つ。
 そして、立命期最大の難所、知命。
 覚悟、確信、大努力を、己に誓う。
 しからば、やっと運命期。
 命が尽きるまで、真実を探り、闘い続ける。

 ふと、あることに気づいてしまった。
 腰窓に腰掛けているのは、ぼくの幽霊だ。
 いつも、振り返ろうとしてそうはせず、左右を見ようとしてもそうはせず、身体を揺らそうとするがそうはせず、{躊躇|ためら}いを大事そうに保ちながら、ただそこに居るだけだった。

 腰窓がある部屋の壁は、{法面|のりめん}の{朽|く}ちた{間知石|けんちいし}で、薄暗くて、{靄|もや}っていて、窓から陽の光が射すと、いつもキラキラと{砂埃|すなぼこり}が舞っていた。
 そのお陰で、ぼくの幽霊は、まだ陽が落ちていない夕方から、慌てるふうもなく、腰窓に腰掛けて、得意の躊躇いのポーズをしていられるのだった。
 今日の帰宅は、ぼくが一番で、ぼくの幽霊が、嬉しそうに、いつものように躊躇いながら、出迎えてくれた。

 玄関のほうから、人の声が聞こえる。
 次に帰ってきた家族は、妹たちでも、母さんでも、当然父さんでもなかった。
 母ゆか里の母親、花子ばァばだった。
 ドカドカッと、いつもの足音。
 薄暗い裏部屋に顔だけ覗かせると、ぼくの目を見るでもなく、独り{言|ご}ちるように、言った。

 「変だねぇ。
 教学に飽きて帰って来るような子でもないし。
 どんくさいけど、誠実。
 要領は悪いけど、{一途|いちず}だからねぇ。
 まァ、あんたの心配は、後にしましょう。
 やることやっとかにゃあ、あんたの母ちゃんに怒られるけぇねぇ」

 花子ばァばは、そう言い終わるや{否|いな}や、手際よく掃除を済ませ、台所に立った。
 台所は、法面に掘って造られた防空壕を塞いだ木の蓋の先にあった。
 この家、入り口から入るとすぐに板床の台所があり、そのすぐ奥が法面になっている。
 その法面を仕切っている壁の法面側の狭い廊下のような部屋が、裏部屋だ。
 その仕切り壁の手前に畳敷きの部屋があり、大きな仏壇が据わっている。
 その和室の手前にも廊下のような板床の通路があり、その前面に掃き出し窓が{嵌|は}まっている。
 その掃き出し窓の端っこには、五右衛門風呂とポッチョン便所の粗末な建屋が増築されていた。
 文明期と言われた昭和、平成、令和の時代も、この野島水軍の{傭兵|ようへい}たちが隠れ住んだ谷川沿いの峠の集落は、アメリカの保護国になる前の独立国だった古き良き時代の生活スタイルを。頑なに護ってきたのだ。
 ……と、そう言えば聞こえはいいけど、実際は、不便極まりない。

 そうこうしているうちに、妹たちが帰ってきた。
 {煩|うるさ}い、騒々しい、面倒臭い、迷惑極まりないやつらだ。
 
 「ほら、食べな」と、花子ばァば。
 「いらない」と、ほのみ。
 「なんでーねぇ!」と、ばァば。
 「だって、ふたっつしかないじゃん」と、ほのみ。
 「めろんは、まだ小さいからねぇ。
 これは、あんたとえみみのぶんよねぇ」と、ばァば。
 「めろんはァ?」と、ほのみ。
 「バナナ、持って来とるよねぇ」と、ばァば。
 「ふーん」と言いながら、おはぎを頬張るほのみ。

 そこで、なんで、「兄ちゃんはァ?」という言葉が、出てこないんだろう。
 めろんがバナナってことは、ぼくとトモキにはァ?
 孫が五人、口を開けて待っているんなら、普通、おはぎが二個とバナナが一本ときたら、次にアンパンが2個とか出てきてもいいもんだ。
 でも、我が家は、そうはならない。
 ぼくがまだ幼いころ、花子ばァばは、よく言ったものだ。

 「男はねぇ。
 {貰|もら}い{癖|ぐせ}がつけちゃいけんのよねぇ。
 欲しいもんがあったら、自分でどうにかせにゃあ。
 自分の欲しいもんだけじゃない。
 ほのみやえみみが欲しがるもんも、大事な人らがしてほしいことも、世のため人のために、どうにかせにゃあいけんことを、他人を頼らんと、自分でどうにかせにゃあいけん。
 ほじゃけぇ、あんたにゃおやつはないんよねぇ。
 トモキも、あんたくらいになったら、おやつはなしじゃけぇ」

 まるで、貧に堪え忍ぶ下級武士の大お母さまだ。
 ばァばだけじゃない。
 下級武士本人……ではなく、父さんが言った言葉も、覚えているものは、すべて貧困幕末志士そのものだった。

 「読んでつまらんなら、やめろ。
 やってもつまらんなら、それもやめろ。
 なんでつまらんか、わかるか。
 志がないからだ。
 無駄に命を削るなということだ。
 聞こえるだろう。
 どくっ、どくっ、どくっ。
 命が削れる音だ。
 すうはァ、すうはァ。
 いっときも休まず、命を削り続ける。
 その証が、生きてるってことだ」

 そんなことを言われても、幼いぼくが解るはずがない。
 ぼくは、訊いた。

 「でーぇ、どうすればいいの?
 読むの、やめちゃってもいいの?」

 父さんの答えは、こんなふうだった。

 「実際に、自分がやってみるために、最小限必要なところだけ読めばいい。
 自分がやりもしないことを、読む必要はない。
 読んだなら、記憶に残す前に、先ずは実践しろ。
 糸電話の作り方の本を読んだら、作り方を覚える前に、実際に作ってみろということだ。
 自分を、大事にしろ。
 そうすれば、他人から言われなくても、家族や親族、仲間や、延いては敵対する人間たちにも、思い遣りを向けることができる。
 相手が振り上げた{矛|ほこ}を、{止|とど}めさせることができる。
 戈という字に、止めさせるという字。
 書いてみろ。
 武士の武の文字は、そういう意味だ。
 それを学ぶものが{美童|ミワラ}で、それを実践する大人が、{武童|タケラ}だ」

 ヒト種は、三つの亜種に分化して、そのうちの二つの亜種が、敵対している。
 文明{民族|エスノ}と、ぼくら自然{民族|エスノ}だ。
 そして、その自然{民族|エスノ}も、武の心を重んじるぼくら座森屋の血筋の一族と、文明{民族|エスノ}の根絶やしを目論む鷺助屋の血筋の一族の二派に、分かれてしまった。
 何れ、この二派も分化して、敵対する日が来るのかもしれない。

 ぼくは、何を学びたいんだろう。
 実践したいことを学ぶんだとしたら、何をやりたいかさえはっきりすれば、学ぶことで悩む必要はなくなる。
 ぼくは、何をやりたいんだろう。

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂

_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第8回


   傍観者

 エセラ、九歳。

 二年ぶりに、後裔記を書く。
 あれから、二年……。
 二年経ったぼくは、やっぱり真相のことを考えていた。

 ほらまたァ!
 ぼくの頭の中に、真相と題した映像が、映し出されている。
 人は、無力だ。
 その無力さは、考えれば考えるほど、怖ろしくなる。
 鳥たちや、野山の小動物たちよりも、身体の自由が利かない。
 浅瀬の小魚たちよりも、考え方が、子どもっぽい。
 鳥たちも、小動物たちも、小魚たちも、自分より大きなものや強いものから自分や家族を護るための身体の自由がある。
 そのための気構えも、たっぷりだ。

 ところが、ヒトはどうだ。
 ひとたび、野山なり海なり、生身の自然の中に放り出されるや、おろおろ、ぐるぐる、壊れた掃除ロボットが延々と零の字を描くように、{戯|たわ}けて愚かな堂々巡りを続けるしか能がない。
 
 今日もまた、ぼくは、空に居る。
 そして、空の上から、ぼくを眺めている。
 おや、どうしたのォ?
 突然、駆けだした。
 まァ、{放|ほお}っておこう。
 彼は、知ってるんだから。
 ヒトは、戯けでも、愚かでもないことを。

 彼は、凧を追う子どもたちのように、顔をあお向けたまま、走っている。
 太陽の表を隠していた雲も、動き出した。
 すると、急に彼は、立ち止まってしまった。
 雲が、太陽から離れてしまうのを、待っているのだ。
 その雲を、随分と長く仰ぎ見ていたことにふと気づいた彼は、その視線をやっと、地上に戻した。
 {大神社|おおかむやしろ}に通ずる石畳の参道。
 そこは、浦町よりもちょっとだけ人通りが多い、いつもと変わらぬ港町の風景があるだけだった。
 雲は、カタツムリの動きにまで気を遣っているようなゆっくりとした動きで、彼が歩いてゆくその脳天を追っていた。
 そして雲は、太陽から完全に離れ、旅人になった。
 ぼくは、空でも、ひとりぼっちになった。

 ぼくは、彼になった。
 浦町に近づくにつれて、道は、恥ずかしそうに、徐々に狭くなっていった。
 右手には、古い民家。
 左に曲がる。
 そこにも、古い民家。
 それをなんどか繰り返すと、谷川沿いの峠の上り坂になった。

 その家は、家族が増えるたびに、粗末な増築をしていた。
 貧を形にした、見事な造作物だ。
 掃除が、行き届いている。
 玄関らしき構えは、どこにも見当たらない。
 ぼくは、古びた木製の引き戸を、開けようとした。
 でも、動かない。
 ぼくは、思い出した。
 力づくで引かないと、その戸は、開かないのだ。
 でも今日は、そんな力は、湧いてこない。
 だからぼくは、いつものように、濡れ縁に足を掛け、縁側の木枠の掃き出し窓を引き開けて、家の中に入った。
 そして、次に家に戻って来る家族のために、出入口の引き戸を開けておく。
 内側からは、引き戸の枠を、両手の掌でガッチリと掴めるのだ。

 家の中に目を移すと、視界が、カメラのレンズを覗いたときのように、徐々に絞られてゆく。
 床、壁、天井……。
 薄暗く、まるで、夕暮れに墓場を見渡して浮かび上がってくる墓石のようだ。
 窓は窓で、知らない故人を、映し出している。
 そんな墓石や故人を、カメラのレンズが、一つひとつ、映し出してゆく。
 木枠の小さな腰窓に、そんな故人の一人が、腰をかけている。
 カメラのレンズを、じっと見返しているように見えた。
 気になったけど、ぼくの目は、その男から視線を逸らしてしまった。
 
 ぼくは、気づいていた。
 その腰窓が、この星の本性を{抉|えぐ}り出すことを。
 真夏の真夜中に吹雪く、地獄のよな豪雪。
 締まり雪が、腰窓を{羽交|はが}い絞めにする。
 真冬の夜中には、空襲よりも激しい豪雨に襲われる。
 その豪雨は、斜面の残雪を、容赦なく殴りつける。
 流れ出た雪解け水が、洪水となって、腰窓を襲う。

 そして今、腰窓が、また何かを映し出した。
 白く美しい海鳥だ。
 キラリキラリと輝き揺らめきながら、その目が、{艶|なま}めかしく微笑んでいる。
 彼女は、白と黒を纏った修道女だった。
 そして、ぼくに向かって、手招きをした。
 ぼくの記憶を、そそのかそうとしているのだ。
 こっちにおいで。
 ぼくの大切な記憶を、奪おうとしている。

 そうなのだ。
 書くことによって、ぼくの記憶は、修道女に奪われてしまうのだ。
 ぼくが書く後裔記が長続きしない本当の理由は……。
 それを書いてしまうから、その記憶を修道女に奪われて、また書きはじめてしまう。
 だからもう、結論は、書かない。
 本音も、書かない。
 そうすれば、ぼくは、これからの人生を、本音で生きることができる。

 次は、学徒学年。
 一番、……。
 明日から、ぼくの名前は、そこで呼ばれる。

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂

_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第5回


   細胞は天才なのに

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

 人間は、胃を半分切除されても、生きてゆける。
 その人間が、たとえボンクラのロクデナシだとしても、その人間を構成している細胞の一つひとつは、天才の分子で在り続ける。
 誰でもみな、天才の分子を持って、生まれて来るのだ。
 だったら、脳も、半分だけでも、天才分子の威力を発揮するはずだ。
 脳科学の本を、読み{漁|あさ}った。

 アメリカで、脳が半分だけしかない赤ちゃんが、産まれた。
 脳の左半球のほとんどが欠落して、ほぼ右脳だけしかなかった。
 当初、異変は起きた。
 目の焦点が、合わない。
 右腕と右脚が、不自由。
 その女の子は、三歳になっても歩くことができず、言葉も遅れていた。
 彼女の左脳のほとんどが欠け落ちていることが判ったのは、その翌年のことだった。

 左脳は、分析や理論を{司|つかさど}り、数や言語を思考する中枢だ。
 対して右脳は、芸術性や創造性を、司っている。
 そして、この二つの脳が、互いに助け合うことにより、人体が正常に機能する。
 しかも、二つの脳は独立していて、どちらかがどちらかの足りないところを補うような機能は、一切無い。
 逆に、どちらかの脳が、極端に発達しそうになったときには、もう片方の脳が、それを抑え込み、右脳と左脳は、バランスよく機能する。
 このことから考えると、その女の子の初期の症状は、{頷|うなず}ける。
 頷けると同時に、それこそ左脳を移植でもしない限り、この少女の症状を改善させる方法は、無いはずだ。

 ところが、その少女のその後に、驚くべきことが起きた。
 医師も周りの誰もが予想しなかった速さで、欠落していた左脳の機能を、見事に発達させてみせたのだ。
 歩くことも、話すことも、読むことも、遅い早いの個人差はあるものの、ごく普通にできるようになった。
 具体的ではない抽象的なことを考えたりすることは、少し苦手だった半面、記憶力は、まさに天才の域に上り詰めた。
 自由勝手に無作為に選んだ年月日を伝えると、その日の曜日を、即答して言い当てるのだ。

 胃を半分切除されても、その後にある程度元の胃の機能が回復するのは、復元力だ。
 細胞が、足りないところを補って、増殖する。
 トカゲの尻尾の細胞とも、通じるところがある。
 でも、このアメリカの女性の脳のケースは、トカゲの尻尾どころの話じゃない。
 右脳が、左脳の機能を学習し、右脳がやるべき機能まで発揮し始めたのだ。
 これは、復元ではなく、進化だ!

 今や、ヒト種は、分化と退化の坂道を、転がり落ちている。
 でも、退化しているのは、人間一人という単位の細胞の塊だ。
 その塊を構成する何十億何百億の細胞の一つひとつは、何千年も前も今もなんら変わりなく、進化に飢えた天才の一粒なのだ。

 今やるべきことは、その細胞を、信じること。
 それをやるべき人は、まさに、ぼくら子どもだ。
 ぼくら子どもの身体の中には、生まれ持った美質が、まだ残っている。
 その細胞が、まだ生きている。
 それが、{美童|ミワラ}だ。

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂

_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第4回


   知らなかった愛読書の意味

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

 良き師友をもち、{座右|ざゆう}には愛読書。
 人は、好きな物を好み、集めたがり、見たがり、触れたがり、食べたがる。
 座右の書も、読みたがるようでなければならない。
 しかも、その読みたがる内容は、精神的価値が高く、人間の真理を豊かに{湛|たた}えているようでなければならない。

 「愛読書を持つ」ということは、先ず、その座右の書を読むに値する人間とならなければならない。
 心構えだ。
 心には、絶えず理想像を抱き持っていること。
 {私淑|ししゅく}する先人、{先達|せんだつ}、先輩、あるいは同輩を持っていること。
 常に、心の中に生きた哲学を吹き込む姿勢でいること。
 この心構えがあってこそ、座右の書は、愛読書となる。

 浦学舎では、このようなことを学んでいる。
 少年少女学年、学徒学年、門人学年、学人学年と進級していくが、学んだ通りに生きている学友を、一人も見たことがない。
 学ぶたびに、必ず、ふと思うことがある。
 *これ*を怠ったから、ヒト種の分化と退化は、止まらないのだ……と。

 愛読書も、そうだ。
 人びとは、愛読書を持たなくなった。
 雑書ばかりを読み、雑学を集めては自慢し、座右の書を持たず、{現|うつつ}は{疎|おろ}か書の中でも、私淑するような人に出逢うことはない。
 自由を誇りながらも社会主義に{陶酔|とうすい}し、己の優位性ばかりを吹聴し、他人や書の中の先人先達から学ぼうなどとは、サラサラ思っていない。
 心が、何も欲していないからだ。
 これは、人間として、明らかな欠陥だ。
 退化の証し。
 だから、大成する人間が、{居|い}なくなってしまった。

 それ以前に、愛読書の意味すら知らない。
 言葉や文字の本来本当の意味など、それこそ、今やなんの意味も持たない。
 今さら学問をしたからといって、この現実を変えることも、分化と退化を{止|とど}めさせることも、出来はしない。

 じゃあぼくらは、なんのために学問をしてるんだろう。

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発行 東亜学纂
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_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第7回


   エセラ、別れの空

 エセラ、七歳。
 一年ぶりに、後裔記を書く。

 ここの海は、{男神|おがみ}のような荒くれたところもないし、女神のような神秘の{煌|きら}めきもない。
 港でも町でも、気遣いを覚えるような人通りを見たことがない。
 だからぼくは、この港町から出たくない。
 先人先達の後裔記を諸書として編まれた亜種記を読むために、ぼくは、漢字を学んだ。
 でも、学んでしまったがゆえに、今までスラスラと書いていた後裔記を、書けなくなってしまった。
 なんか、ぼくの書くことすべてが、幼稚だなって思えて、何も書けなくなってしまったのだ。
 でも、ぼくらが書かなければ、後裔記は、途絶える。
 ぼくらの中の一人でしかないぼくが書かなかったからといって、ぼくらが書かなかったことにはならない。
 でも、それは、間違いだと気づいた。
 ぼくらと、ぼくら一人ひとりは、同一なのだ。
 ぼくら一人ひとりが、ぼくらなのだ。

 ぼくは、この町の港から見える海が、好きなんだ。
 空も。
 鳥たちも。
 やたらと人{懐|なつ}っこく海面から浮き上がる動物たちや、やたらとしつこく海面を飛び跳ねる魚たちも。

 とうさんの記憶は、ほとんど残っていない。
 でも、とうさんの言葉は、ぼくの心に刻まれて、それは、決して、一生消えることはない。
 とうさんは、言った。

 「今日から、とうさんの一族の後裔記は、おまえが書くんだ。
 とうさんも、今のおまえと同じ歳のときに、父親から、そう言い渡されたんだ。
 おまえの心と{身体|からだ}には、二つの亜種の血が流れている。
 それゆえにおまえは、これから先、幾多の逆境に遭遇することだろう。
 だが、そこで与えられた労苦のすべてが、おまえだけに与えられた武器となる。
 おまえに、わが民族のすべてを託す。
 これからどうするかは、おまえの自由だ。
 おまえが野垂れ死んでも、誰の{所為|せい}でもない。
 おまえ以外の誰かに、責任があるわけでもない。
 すべての結果の原因は、おまえにある。
 これから先に起こる出来事は、すべておまえが起こしたことだ。
 その結果のすべてが、おまえ独りで決めたことなのだ。
 とうさんは、この港から見る海が、好きだった。
 だが、もう忘れる。
 思い出は、邪魔になるからだ。
 だから、おまえのことも忘れる。
 おまえも、父のことは忘れろ。
 おれはもう、おまえたち家族とは、他人なのだ」

 とうさんは、学問には{煩|うるさ}かったけど、後裔記のことを言われたのは、それが最初で最後たっだ。

 ある日、ぼくは、港にいた。
 そしてぼくは、空に舞い上がった。
 空から、ぼくを眺める。
 まるまった背中。
 ぼくは、それを見かねて、彼の前方、仰角のして四十五度くらいの空間に回り込んだ。
 すると、ほどなく、彼は顔を上げて、ぼくがいるほうを見上げた。
 彼は、歯を食いしばっていた。
 冷めかけた溶岩のような、赤黒い、死にかけた{醜|みにく}い生命体が{塊|かたまり}になったような物体に見えた。
 彼は、見えなくなった父さんの後ろ姿を、追っていた。
 そしてぼくは、そのとうさんが好きだったと言った空に、浮かんでいる。

 ぼくは、とうさんのような{武童|タケラ}になりたかった。
 とうさんのところへ、行きたい。
 とうさんと、一緒に行きたかった。
 ぼくはもう、ぼくじゃない。
 今、{遥|はる}か下の港に立ちすくんでいるのは、彼だ。
 ぼくじゃない。
 ぼくは、カモメだ。

 空から生きものたちを見ていると、普段{何気|なにげ}に見過ごしている生きものたちの何もかもが、実に不可解に思えてくる。
 その行動も、その習性も、いま{足下|そっか}でぼくを見上げている彼も、まったく不可解で、実に不愉快だ。

 でも、毎年ひょっこりと律儀にこの港に戻って来るカモメとツバメ、そして、野を駆けるウサギと、田畑の{縁|へり}を掘り進むウリ坊は、例外だ。
 だってやつらは、神秘的だから。
 不可解の真相は、神秘だ。
 だからやつらは、不可解ではなく、真相なのだ。

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_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第6回


   本気の亜種記

 エセラは、燃え尽きるように、後裔記を書いた。
 それを、亜種記と呼びたかった。
 だが、呼ぶ前に、燃え尽きた。
 これを最後に、また暫く、後裔記のフォルダを閉じる。

 天、{曰|いわ}く。

 和の{民族|エスノ}は、先人たちの努力労苦をよく敬し、不便に不服を唱えることもせず、貧を文化に変えて、慎ましやかに生きてきた。

 文明{民族|エスノ}は、ヒト種をこの星の頂点に据えようと{企|たくら}み、自ら己の頭脳をロボットに変えてしまった。

 自然{民族|エスノ}は、古来悠久、自然の一部として、生あるすべての{物|ブツ}と共に、生き続けてきた。

 頭脳が半無生物化した文明の奴らは、和の人たちを野蛮物であるかのように扱い、和の僅かな廃残者たちは、今や家畜以下の扱いだ。

 それを断固{否|いな}として対峙してきた我ら自然の者たちに対しては、ただの一人も生かしてなるものかと、根絶やしを狙っている。

 国難は、百年ごとにやって来る。
 それを、亜種に分化する前の青人草……ヒト種の民々は、何十回となく乗り越えて来た。
 その原動力であり武器になったのが、人間が生まれ持っている美質であり、学問であり、行動の力だ。

 山陽少年は、十三歳で、父に宛てて漢詩を書いた。
 佐内少年は、十五歳で、『啓発録』を書いた。
 ぼくはまだ、幼い。
 でも、十三歳になったとき、十五歳になったとき、ぼくはまだ、学ぶことを続けられているだろうか。

 地、曰く。

 密林……。
 その南の彼方には、穏やかな海が拡がる。
 {足下|そっか}に目を落とすと、半島の先端。
 繁った枝葉の陰に隠れるように岸辺が線を描き、その途中、拓けた港町の西側に一点、突堤と沖波止が、谷川沿いの小さな集落をひっそりと包み込んでいる。

 半島を越えた東の彼方には、平野が見える。
 この僅かな、見渡した限りに見える陸地や海の上でさえ、文明、和、そして我ら自然の{民族|エスノ}が、{鬩|せめ}ぎ合いながら生き続けようとしている。
 そこは、我ら列島国の、五百六十四分の一の面積に過ぎない。
 その列島国も、地球儀を回してみれば、小さく{歪|いびつ}な形をした、一点の鼻くそに過ぎないのだ。

 「現実が、現実である」ことに、なんの不思議もない。
 それが、現実が秘めている、真の怖ろしさだ。

 {物|ブツ}、曰く。

 ぼくとは……。
 粗末な平屋に住まい、いつも粗末な服を着て外を歩いている。
 祖母が一人、妹が三人、そして、最後に産まれた弟が一人。
 父の記憶は、薄らぎつつある。
 母の顔は、まだ薄っすらと覚えている。

 平野の都会には、嫁いだ{叔母|おば}が、{良人|おっと}と一人息子と一緒に住まっている。
 その{従弟|いとこ}は、「今日も生きとった。良かった。おやすみなさい」と言って、無事に終わった一日を締め括る。

 寺学舎や学園がある港町の{子等|こら}は、神秘的なものを見るような無邪気な表情をつくるという特技を備えている。
 対して、その港町の西側の浦町に住まうぼくら{子供|こども}は、魅力も、魅惑も、神秘も、すべて作り話、ただの暇潰しの遊び道具としか考えていない。
 子々孫々に繋ぐためだけに生き続け、ただそのためだけに食らう。
 自分とは、そんな己を監視するために、この世に遣わされた特使なのだ。
 それが、ヒト種の生態のすべてだと、信じている。

 ぼく、曰く。

 ある日、ぼくは、家から外に出た自分を、空から眺めていた。
 いずれ彼も、掟の旅に出ることだろう。
 万全を期するのが冒険ならば、掟の旅とは、なんだろう。
 情勢、時節、辿る道、訪れる場所、運命の歩み方、不測の事態、突発の波瀾……そのいずれにも、まったく興味が湧いてこない。
 彼にとって大事なのは、ただ一つ。

 生きる、理由だ。

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発行 東亜学纂
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_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第3回


   百八十八年前の十六歳

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

 道の精なると精ならざると、
 業の成ると成らざるとは、
 志の立つと立たざるとに{在|あ}るのみ

 百八十八年前、ぼくより三つだけ年上の少年が書いた詩だ。
 来年の想夏、ぼくは十四歳となり、{武童|タケラ}となる。
 大人になるのだ。
 その大人になった二年後の十六歳にして、このような詩を書けるだろうか。
 というか、こんなことを思いついたり、考えたりできるだろうか。

 百八十八年前の少年は、必死に学んで行動した。
 だから、欧米列強からの侵略を受けても、国を護ることが出来た。
 白人をも味方につけて、攻めて来た同じ白人との戦争にも、勝った。

 でも、次第に、少年たちは、学ぶことを{怠|おこた}ってしまった。
 志を立てる至誠に、{悖|もと}ってしまったのだ。
 だから、アメリカに占領され、{日|ひ}の{本|もと}の国は、{亡|ほろ}んだ。

 {挙句|あげく}、人間は亜種に分化し、今、その亜種同士で、闘っている。
 志を立てることを、忘れてしまったのだ。
 世のためでもなく、人のためでもなく、己のことだけで、一杯いっぱい。
 だから国は亡び、民族も亡び、間もなく、人間も亡びる。
 そんなの、あたりまえじゃん!

 精とは、雑念を交えず、一筋に実行し、生きるさま。
 業とは、己の目指した学問や仕事のこと。
 そのどちらも、先ずは、しっかりとした志を立てるところから始まる。
 {為|な}せば成るのは、高い志があればこそだ。

 そんな高い志を立てようとして、懸命に努力している。
 だから、こんな気迫のこもった詩が書けるのだ。
 だったら、ぼくにも書けるかもしれない。
 ぼくたち{美童|ミワラ}で言うところの、知命。

 知命するために大努力すれば、松陰少年にも負けない詩を書ける。
 分化退化劣化したこの頭でも、為せば成る。
 成らなければ、ヒト種は亡びる。

 いつの時代も、少年の責任は、重い。 

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発行 東亜学纂
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A.E.F. Biographical novel Publishing

_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第5回


   お試し亜種記

 一年が経ち、エセラは六歳になった。
 矢庭に後裔記を書きはじめ、物語は、唐突にはじまった。

 とうさんに、言われた。
 「おまえたちには、生まれ持った美質がある。
 それを、護り抜け。
 そのためには、武の心が必要だ。
 それを、養え。
 そのためには、知命せねばならん。
 息恒循を学び、それを、然修録に残せ。
 旅を、せねばならん。
 立命期が終わる前にな。
 その旅で感じたことを、後裔記に残すのだ。
 知命するまで、そのことを{怠|おこた}るな。
 知命したならば、己の運命を進め。
 それが、運命期だ。
 天命に到るまで、自反と格物に{悖|もと}るな。
 行動を学として、前に進み続けるのだ。
 そして、{武童|タケラ}となれ。
 それが、我ら自然{民族|エスノ}の使命だ」

 なんのことだか、とんとわからない。
 だってぼく、六歳だから。
 でも、とうさん怖いから、一つづつ、学んでみた。
 そして、それを一つづつ、やめちゃった。

 人の一生は、一つ。
 あたりまえじゃん!
 {天命|てんめい} (生涯道徳、その一生。四十九年間。零歳から四十八歳までの人生)
 じゃあ、百歳まで生きた爺ちゃんや婆ちゃんは、二回人生があったってこと?
 人生が二度あって、よかったじゃん♪

 十四歳で、大人になる。
 無理、無理!
 {立命期|りつめいき} (天命の前期十四年間。この時期の学童を、{美童|ミワラ}と呼ぶ。実父母が命名した{美童名|みわらな}を名乗る)
 {運命期|うんめいき} (天命の後期三十五年間。この時期の年代を、{武童|タケラ}と呼ぶ。自ら己に命名した{武童名|たけらな}を名乗る)
 十三歳までに、悪いことやっとかなきゃってこと?
 忙しいじゃん!

 人生は、七年間が七回。
 {幼循令|ようじゅんれい} (零歳から六歳までの最初の七年間)
 {少循令|しょうじゅんれい} (七歳から十三歳までの七年間)
 {青循令|せいじゅんれい} (十四歳から二十歳までの七年間)
 {若循令|にゃじゅんれい} (二十一歳から二十七歳までの七年間)
 {反循令|はんじゅんれい} (二十八歳から三十四歳までの七年間)
 {格循令|かくじゅんれい} (三十五歳から四十一歳までの七年間)
 {徳循令|とくじゅんれい} (四十二歳から四十八歳までの最後の七年間)
 四十にして惑わずって、中国の偉い学者が言った言葉だよね?
 それと、同じことだよね?

 その七年間の一年一年にも、名前がある。
 {飛龍|ひりゅう} (一年目)
 {猛牛|もうぎゅう} (二年目)
 {猫刄|みょうじん} (三年目)
 {嗔猪|しんちょ} (四年目)
 {悪狼|あくろう} (五年目)
 {石将|せきしょう} (六年目)
 {鐵将|てっしょう} (七年目)
 これ、{循令|じゅんれい}だって。
 凝り過ぎだな。
 やめてーぇやーァ!

 季節は、七つもある。
 {想夏|そうか} (七、八月)
 {起秋|きしゅう} (九、十月)
 {執冬|しっとう} (十一、十二月)
 {烈冬|れっとう} (一、二月)
 {結冬|けっとう} (三月)
 {敲春|こうしゅん} (四、五月)
 {還夏|かんか} (六月)
 これ、{時令|じれい}だって。
 めんどっちい。
 四つでいいじゃん!

 一週間は、七日。
 よしよし♪
 でも……。
 {七養|しちよう} (日曜日)
 {自修|じしゅう} (月曜日)
 {内努|うちゆめ} (火曜日)
 {五省|ごせい} (水曜日)
 {自反|じはん} (木曜日)
 {六然|りくぜん} (金曜日)
 {人覚|にんがく} (土曜日)
 これ、{恒令|こうれい}だって。
 めんどっちい。
 月月火水木金金でいいじゃん!

 一日は、七つの刻。
 江戸時代かァ!
 {腹想|ふくそう} (午後九時から午前三時まで)
 {頭映|ずえい} (午前三時から四時まで)
 {体敲|ていこう} (午前四時から五時まで)
 {然動|ぜんどう} (午前五時から七時まで)
 {烈徒|れっと} (午前七時から午後六時まで)
 {考推|こうすい} (午後六時から八時まで)
 {気養|きよう} (午後八時から九時まで)
 これ、{伝霊|でんれい}だって。
 わけわかんない!

 次は、忍者かな!
 ひと息つくだけなのに、またまた小難しい!
 {想|そう} (一吐息目)
 {観|かん} (二吐息目)
 {測|そく} (三吐息目)
 {尽|じん} (四吐息目)
 {反|はん} (五吐息目)
 {疑|ぎ} (六吐息目)
 {宿|しゅく} (七吐息目)
 これ、{唯息|ゆいそく}だって。
 吸わなきゃ、吐けないじゃん!
 そう、思わない? 

 ……で、最後。
 生の最小単位。
 ひと吐息。
 それが、{吐無|ぬむ}。

 そのひと吐息も無い世界……。
 それが、{造化|ぞうか}。
 これが天地自然の正体なんだって。

 さすがにこれは、手強い!
 「己が書いた然修録が、己の人生の指南書となるのだ」と、とうさんは言う。
 それも、難儀。
 その難儀を克服してきた大先輩たちの歴史が、亜種記なんだろうなと思う。
 何をどう頑張ろうとも、ぼくらは百年ごとに殺し合うんだ。
 あらゆることが、めっちゃ{億劫|おっくう}に思えてくる。

 天は、時代と情勢。
 地は、場所。
 {物|ブツ}は、人。
 人は、めんどくせぇ! 

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発行 東亜学纂
// AeFbp //
A.E.F. Biographical novel Publishing

_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第2回


   命の正体

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

 この世の時空のどこかに
 もし ぼくらの子孫が存在するなら
 伝えたいことがある

 命の正体は 感性だ
 理性も 知性も あとからいくらでも作ることができる
 でもね 感性は どうやっても 作れない
 だって 感性は {我|われ}が{儘|まま}だから
 どうして人間は 百年も生きられるんだろう
 それは 我が儘を 感性を 命を 大事に生きたから
 それでも 感性は擦り減り 人間は 死ぬ

 擦り減るから 焦って 理性や知性を 磨こうとする
 すると どうなるか
 笑うことを我慢して {嘘|ウソ}ばっかり言うようになる
 考える事が過ぎて 食欲もなく{萎|な}え引きこもる
 そうなったら もう 自然の生きものじゃない
 化け物として 自ら死に急ぐ

 感性とは 感じること
 集中しないと 感じることはできない
 ほかのことを考えると 集中なんかできない
 だから 感じたいときは 考えちゃダメ
 でも 考えちゃう
 目から 考える材料が 飛び込んでくる
 だから 目をつぶる
 するとこんどは 頭に何かが 湧き上がってくる
 次から次へと 考える材料が 浮かんでくる
 ダメじゃん

 だから 感じたいときは 目を半開きにする
 呼吸を 整える
 息恒循の {唯息|ゆいそく}
 {一刻|いっとき}の 吐息

 ひぃ吐息め {想|そう}
 ふぅ吐息め {観|かん}
 みぃ吐息め {測|そく}
 よぉ吐息め {尽|じん}
 いぃ吐息め {反|はん}
 むぅ吐息め {疑|ぎ}
 なぁ吐息め {宿|しゅく}

 そして 整う
 それが {吐無|ぬむ}

 考えると 息を吸う
 理性も 知性も 息を吸う
 吸ってばかりいるから 感性が鈍る
 感性が 命が 擦り減る
 吐けば 感じる
 命が 喜ぶ

 {一吐息|ひとといき}
 明けても暮れても ひと吐息
 今 生きている
 それが 命 

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_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第1回


   まえがき

 アイアム、テレブ。
 七十六歳。
 {美童名|みわらな}は、サーレ。

 自己紹介は、後裔記を諸書として編集している方の「まえがき」に書いたので、省略する。
 この編では、後裔記と同様、亜種記編纂のため、然修録を諸書として編集する。

 イエロダが編んだ亜種記は、後裔記と然修録を同期させながら羅列した。
 だが、わたしが編む亜種記は、同期させない。
 イエロダが編んだムロー学級のころと、わたしがこれから編もうとしているエセラ君たちの時代とでは、世情も、治乱の進行具合も、大きく違ってきているからだ。

 ムロー学級のスピア君たちが書いた然修録の目的は、息恒循の自修である。
 これ、小難しい。
 現代の{子等|こら}は、小難しいものは読まないし、書かない。
 なので、寺学舎の学師の少年たちに、ある提案をした。

 息恒循は、学ばなくてもいい。
 {美童|ミワラ}のうちは、息恒循を理解するために必要な素養を養うこと。
 息恒循の真意を後裔たちに繋げるために、自由に読書し、大いに見聞を広めて欲しいと。
 そして願わくは、知命して晴れて{武童|タケラ}となるまでに、自分たちの言葉で、新訳「息恒循」を完成させて欲しいと。

 後裔記の編では、序章として、エセラ君の五歳から七歳のころの日記を載せた。
 本編は、彼十三歳から十四歳のころに{美童|ミワラ}たちが書いた後裔記を、一つの物語に編む予定にしている。

 なので、然修録も同じく、そのころのエセラ君たちのものを集めた。
 後裔記と時勢は同じくするも、前述したようなことを目的として書かれた学びの記録あるから、後裔記との同期は意味がないと判断した。

 「息恒循は、学ばなくてもいい」とは確かに言ったが、実際、本当に学んでいない。
 わたしが提案したとおり、自由に読書し、見聞を拡げることに努めたようだ。
 だが、立命期は、十三歳で終わる。
 {美童|ミワラ}の時代を、終える。
 すなわち、もう子どもではなくなるということだ。
 十四歳となった想夏、運命期がはじまる。
 そう……{武童|タケラ}、自然{民族|エスノ}の大人となるのだ。

 ムロー学級は、八人が八人とも、{美童|ミワラ}のまま、運命期に突入した。
 我ら{日|ひ}の{本|もと}の国を遠く離れてしまったので、ある意味仕方がない部分もあるが、それでいいという理由とはならない。

 確かに彼らは、漢字や小難しい熟語をいっぱい覚えたし、息恒循も小難しいまま読み{熟|こな}し、エセラ君たち後輩に繋いだ。
 だがそれは、繋いだのではなく、残しただけのことだ。
 今、この時代、エセラ君たちに、同じことはできまい。
 それはそれで{虚|むな}しいことではあるが、そこはそことして、それなりの大努力を模索してもらわねばならない。

 我らが祖、イザナキの父君とイザナミの母君の夫婦喧嘩からはじまったヒト種の栄枯盛衰と人口の乱高下は、今や、アマテラスの姉御やスサノヲの兄貴たちの想いを大きく裏切り、分化と退化留まることなく、その分化した亜種ですら、さらなる分化と退化の副産物である変種!の誕生が、{危惧|きぐ}されている。

 嗚呼、なんたる愚痴っぽい前書き!

 では、K2694年、想夏。
 立命期最後の年、エセラ君。
 少循令、鐡将。

 彼の然修録から、はじめよう。

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発行 東亜学纂
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