#### 申すツボネエ「迷ったら変化が大きいほうを選ぶ。それが相となる」然修録 ####
人は、変わるから望みが出てくる。それが、*人望*。それが、*顔に出る*。それが、相。その相の基になるのが、学問。これが、己の命を運ぶとき、その命を護るための*武器となる*。それが、運を{拓|ひら}くということ。
少女学年 ツボネエ 少循令{飛龍|ひりゅう}
一つ、学ぶ。
サギッチ(の然修録)、なかなかいいねぇ♪
弁証法に{悟性|ごしょう}と、きましたかァ!
もう半年、会ってないのよねーぇ!?
サギッチ、{何|なん}か随分、{逞|たくま}しくなったような気がする。
で、アタイのお気に入りのスピアの兄貴は……と、言うとーォ?!
相変わらずだねぇ!
でも、スピア(の後裔記)の、「迷ったら、いっぱい動くほうを選ぶ!」ってのは、いいじゃん、いいじゃん♪
アタイはさァ。大きく変われるほうを、選ぶようにしてる。
最近だと、〈美女〉から〈美文字家〉に変わろっかなって、思ってる。美男美女で金は{掴|つか}めても、人の心は掴めない。でもまァ、武器が多いってことは、悪いことじゃない。アタイの美しさって、武器だから。一応ね♪
サギッチの最近の武器が逞しさなら、スピアの兄貴の相変わらずの武器は、人望かなァ? スピアという実像ではなく、兄貴という、形が無いもの。
その無とは、可能性……{所謂|いわゆる}希望、{即|すなわ}ち人望……てな感じで♪
よくあるよねぇ? 自他が認める人格者なのに、人が寄って来ない。寄って来ても、直ぐに離れて行ってしまう……みたいな。
それってさァ、人望がないのさ。
つまり、将来性がないってこと。
武器は、相になる。
サギッチの逞しさも、スピアの人望も、すべての武器の{基|もと}は、学。
学は、武器となり、相となり、可能性が広がり、希望が持てる良い運が、{拓|ひら}かれてゆく。
《 学は相をつくり、運を拓く 》
寺学舎での学問ってのは、目的の学と行動の学の二本立てだった。
思考によって直観力を養うのが、目的の学。
行動によって直感力を養うのが、行動の学。
『息恒循』は、その学が、一挙手一投足に現れるようにと、指南している。
ということは、人格も人望も思考も言動も、それらすべてが一つとなって、一挙手一投足に現れるようでなければならない……と、言うこと。
これ正に、{体現|Embody}。
学問が、血となり、肉となる。
それが人に表れたものが、相。
その相を持った人が行動して、その人の生活が成り、その生活が、自然の一部となる。
自然の一部となったその生そのものが、運。
なので、学は相をつくり、運を拓く。
で、現実。
自分のことは棚に上げて、{或|ある}いは、どっかに{除|の}けといて、一所懸命に他人のことばかり批評する。自反なんて、どこ吹く風!
{誹謗|ひぼう}中傷でストレスを発散して、快食♪ 快便♪ 快眠♪
寺学舎の座学で、ちょびっと学んだだけだけど、儒学とか陽明学とかの東亜の哲学や、{唯識|ゆいしき}とか禅とかの原始仏教ってのは、最近の西洋の{流行|はや}り言葉で言うと、{自己実現|Self-realization}みたいなもんかなって、何気に思う。
ところで、シントピック・リーディング……だったッけぇ?
〈人相〉に関係ありそうな本を集めて、〈人相〉に関する{話題|トピック}のところだけを、{摘|つ}まみ読みした。その中から、二つ。
【その一つ目のトピック】
昔の話。
{白隠|はくいん}禅師……有名なんですってねッ?
その有名な禅師の師僧……これまた、有名な{僧侶|そうりょ}なんだそうです。
信州飯山の{正受老人|しょうじゅろうじん}。
……その人です。
ある日、一人の僧侶が、自分で彫った仏像を持って、正受老人を訪ね、{開眼|かいげん}を求めた。
この開眼、解り{易|やす}く言うと、正規の仏像として認めて欲しい。その証しとして、儀式を{催|もよお}してほしい……と、いうことのようです。
頼まれた正受老人、しみじみとその依頼人である僧侶の顔を眺めて、{斯|こ}う言った。
「仏像を{彫|ほ}るよりもなァ。
お前の{面|つら}を、もう少し何とかせんかッ!」
面は、相。
相は、正に{自己実現|Self-realization}。
高遠(高尚で遠大)な理屈を、象徴的{或|ある}いは抽象的に、{然|さ}も巧みに雄弁する者は、実に多い。
けれど、では、具体的な自分自身、その表れである相は、どうか。
自分を大きく見せたがる{所謂|いわゆる}臭い大人は{騙|だま}せても、アタイらみたいな感性で生きてるような子どもや、本当に学問を積んだ大人は、騙せやしない。
自己実現の表れ、{即|すなわ}ち面構えが悪かったら、どんなに自分を大きく見せようとしても、ダメ。
どんなに巧妙で、大そう立派そうな仏像を彫れたって、面構えが悪かったら、その人間自体は、大したことはないということだ。
【その二つ目のトピック】
これも、昔の話。
ドイツの医科大学で、東洋の人相の書物を集めていた。
やってることは、アタイと同じだけど、その目的が、大違い!
それを集めていたのは、{何|なん}とッ! 皮膚科の研究者たち。どうしてーぇ?! ……って、思うよねぇ?
答えます。
東洋の人相の書物には、次のようなことが、書いてある。
だから、集めているのだと言う。
一、生きている細胞の中でも、皮膚は鋭敏。
二、その皮膚の中でも、顔面の皮膚……所謂面皮は、最も鋭敏。
三、その面皮に、体内のあらゆる機能が、{悉|ことごと}く集中している。
世界中のいろんなところから、考えも及ばないいろんな観点から、この地球上でたった一つしかない真理に向かい、到達し、そこで{皆|みな}が会し、一つの真理を共有する。
人間って、素晴らしい♪
そういう本当に素晴らしい人は、いい人相を持っているから、会えば直ぐに判るってことなんでしょうねぇ♪
_/_/_/ 「後裔記」、「然修録」
http://shichimei.hatenablog.com/
_/_/_/ 『亜種記』
Vol.1 [ ASIN:B08QGGPYJZ ]
_/_/_/ 『息恒循』を学ぶ _/_/_/
その編纂 東亜学纂
その蔵書 東亜学纂学級文庫
その自修 循観院