MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

EF ^^/ 然修緑 第2集 第9回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第9回

 一、想夏 (8)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

       闘いから、戦いへ

 一、心を鍛える イコール 闘い
 二、敵を亡ぼす イコール 戦い

 亜種記にあったムロー学級の先輩たちは、闘った。
 それで、よかった。
 でも、ぼくらは、戦わなければならない。
 時間は、止まってはくれないからだ。

 {日|ひ}の{本|もと}最古の兵書、『闘戦経』を読んだ。

 兵者は{稜|りょう}を用ふ。

 兵を使う者は、鋭気や威厳といった気力がなくてはならない。

 動機付けの質に{因|よ}ると思う。
 その目的が、世のため人のためで崇高であり、強い使命感が{漲|みなぎ}らない限り、真の気力を備えることなどできないと思う。

 兵を使う者とは、兵隊の上に立つ者のことだ。

 稜は、山の稜線の「稜」の文字。
 物の{角|かど}の意味だ。
 そこから、鋭い鋭気、動じない心、威厳、士気などが連想される。

 上に立つ者は、気力に溢れている。
 何も言わずとも、部下たちは、上の者の背中を見てついて来る。

 ある神話がある。
 日本人は、本当に不思議なもので、お人好しで、しかも、さぼることをあまり考えない。
 だから、上に立つ者が気力に溢れていると、激怒、{叱咤|しった}、激励などしなくても、部下たちは、一所懸命に働いてくれる。
 神話は崩れ、我らは亜種に分化し、退化が止まらない。

 ニーチェの語録に、こんなのがあるそうだ。
 「情熱の矢となって飛べ」
 確かに、飛び出した矢は気力に溢れ、鋭い稜線を引きながら、飛んで行く。
 まさに、「兵者は矢を用ふ」だ。

 でも、鋭いだけではダメだ。
 速く飛ばなければ、意味がない。
 速ければ速いほど、{同胞|はらから}たちは、気力のままについて来る。
 遅いと、道草をしたり、挙句は離脱、最悪は、離反する。

 ヒト種のため、すなわち人類のためなんだから、世のため人のためのであることは、疑いようもない。
 これ以上、崇高な目的はないと言っていい。
 それでも、使命感が漲らないとしたら、退化の進行に負けたということだ。
 だから、速さが大事なのだ。

 ぼくらの退化は、すでに仕上げの工程に入っている。
 完成させてはならない。
 万が一完成を見て、それが世に出荷されたら、人類は、今度こそ亡びる。

 ぼくらの代から、変わったのだ。
 闘いは、戦いへと。
 
2024.3.9 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第13回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第13回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (3)

 夏も盛り、ある夜のことだった。
 エセラは、{仕来|しきた}りの旅への焦りで、寝つけない夜を過ごしていた。
 そこへ、ほのみたちを寝かしつけたばかりの母が、エセラの枕元に座った。
 そして、意味ありげに、小声で語りはじめた。

 「おまえの知らないことが、いっぱいあるんだよ。
 不思議なこと、そして、神秘も。
 そのほとんどが、おまえが生まれる前に起きたことさ。
 母さんも生まれていない、もっと昔のことさ。
 だからなんだかどうなんだか知らないけど、その神秘さのなかに、真実があるように思えるのさ。
 その昔ってころは、どんなだったんだろうねぇ。
 きっと、今と同じなんだと思う。
 生きものがこの世に産まれて、そして、どんどん死んでいく。
 きっと、この先も、昔のままさ。
 でも、人間は、変わってしまった。
 三つの亜種に、分化した。
 それだけなら、退化しようが自然に絶滅しようが、大した問題じゃない。
 でも、文明の亜種の連中は、変わらないものを良しとしなくなってしまった。
 海、山、空……そうさ。
 自然さ。
 自然の一部だってのに、その自然の存在が気に入らないのさ。

 ねぇ、エセラ。
 だから、戦わなきゃならないのさ。
 和の亜種の人たちって、昔ね、文明の亜種のやつらに、旧態人間って呼ばれてたんだ。
 ヒトの原型って意味だろうけど、悪意がこもってる。

 あのね、エセラ。
 死を、よく理解しなさい。
 何年かかってもいい。
 知命が遅れて、無知運命期って呼ばれたっていい。
 ヒトは、神秘なんだよ。
 自然の一部なんだから、当然のことさ。
 それをちゃんと理解して死ねば、また母さんに逢えるよ、きっと。
 母さんは、先に{逝|い}くからねぇ。
 父さんは、もっと早いかもね。
 あたいら自然{民族|エスノ}は、七の倍数で生きてる。
 人生は、七年が七回。
 この一年で、二回目の七年、少循令が、終わる。
 同時に、立命期も終わる。
 来年の夏から、おまえも、運命期の{武童|タケラ}だ。
 仕来りの旅のことで、踏ん切りがつかないんだろッ?
 いっそ、寺学舎のみんなを連れて、集団で旅をしてみたらどうだい。
 亜種記に、書いてたじゃないか。
 ムロー学級がみんな離島疎開して、それが仕来りの旅になったんだって。
 今は、ウイルスは飛んでこないけどねぇ。
 その代わりに、ミサイルが飛んでくる。
 狭いこの{日|ひ}の{本|もと}の島国の中で、ミサイルを撃ち込んでくる。
 正気の沙汰じゃない。
 早くやつらを亡ぼさないと、あたいらの国は{疎|おろ}か、ヒト種が絶滅しちまうよ。

 そうだ!
 どうせ、まだ眠れないんだろッ?
 お風呂、入ろうよ。
 薪、くべるけん、先に入りんさい!
 母さんは、{熱燗|あつかん}もお風呂も、{温|ぬる}めが好きだからさ。
 やれこらのォ。
 よっこらしょっとーォ♪」

 湯舟の底で揺らめく底板をぼんやり見ながら、エセラは、大先祖様のまぐわいの話を思い浮かべた。
 ふと顔を上げると、開け放たれた木枠の窓から、ほっぺをほんのりと赤らめた母さんの顔が、覗いていた。
 薪をくべて、顔がほてったのだろうか。
 エセラは、{手淫|しゅいん}を見られた恥ずかしさよりも、母に無言で見つめられていたことに、穏やかでない理性を感じずにはいられなかった。 
 
2024.3.9 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第8回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第8回

 一、想夏 (7)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   海賊って、なに?

 ぼくらのご先祖さまは、{能登守教経|のとのかみのりつね}の軍勢の{傭兵|ようへい}だった野島水軍の海賊……だったと、堅苦しい本をいっぱい出している出版社の新書に、書いてあった。

 なので、その反動を言い訳にして、少し柔らかい本を、たくさん読み{漁|あさ}っている。
 そんなとき、ふと……(海賊って、なんだろう?)と、思った。

 「海で生き延びるには、好奇心と創造力が必要だ」と、父さんが言っていた。
 当時はまだ、好奇心の意味も、創造力の意味も、知らなかった。
 どうして、そんなことを、ぼくに言ったんだろう。

 ぼくらは、文明{民族|エスノ}と闘うために、心を鍛えている。
 でも、実際の戦いとは、たぶん、ミサイルが飛び交うことだと思う。
 もし、水爆のミサイルを打ち合ったら、人類全体が、亡んでしまう。
 でも、それより破壊力の小さい原爆なら、首都だけを効率よく効果的に亡ぼすことができる。
 首都が、もし国境から離れていれば、隣国への放射能の影響も、少ない。
 だから、島国の首都は、絶好の標的となる。

 だったら、自国の首都に核ミサイルを撃ち込まれる前に、その核ミサイルが保管されているところを、先に攻撃すればいい。
 そうすれば、自国の首都を護ることができる。
 でも、人間という動物は、戦うことにかけては、頭がよく回る。
 核ミサイルは、海の中にある。
 原子力潜水艦の中。
 なかなか見つからないばかりか、好きな時に、好きなところに行って、どこからでも、核ミサイルを発射できる。
 だから、深い海底に隠れることができる領海を持っているアメリカとロシアが、最強なのだ。
 この強大な二国が、北海道のすぐ北西と北東の深い海の底で、互いに核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を潜航させながら、{睨|にら}み合っている。

 狙われ易く、利用し易い国……それが、ぼくらの国、{日|ひ}の{本|もと}なのだ。

 それで、納得できた。
 いまの中国は、浅い海の領海しか持っていない。
 だから、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を隠すために、広くて深い領海が、欲しいのだ。

 どこ?
 そうかァ。
 だから、南シナ海なんだ!

 南シナ海さえ自分たちのものにしてしまえば、ごちゃごちゃと内政に干渉してくるアメリカに対して、対等で言い返すことができる。
 強い国から無理矢理に制度を変えさせられたり、力ずくで領土を取られたりする心配も、なくなる。
 しかも、アメリカと対等になれば、太平洋の西半分を、中国の縄張りだと、アメリカに認めさせることだって、できるかもしれない。
 南シナ海を領海にすることは、中国にとって死活問題だし、中国三千年の悲願なのだ。

 ロシアにしたって、北海道の北のオホーツク海の深海に隠れて、アメリカを狙ているのだ。
 北方四島を領土にすることは、ロシアの長年んぼ悲願だったに違いない。
 (死んでも返すもんかッ!)って、きっと思ってる。
 それなのに、「返してください」ってお願いしてるぼくらの国って、どこまでナイーブ(お人好しの世間知らず)なんだろう。

 それよりも、ぼくらヒト種の分化と退化を止めることのほうが、誰が考えたって先だろう!
 このまま{放|ほお}っておけばいいって、最初は思ってたけど、そんなことをしたら、ぼくらの亜種が亡ぶのは時間の問題だし、行く末は、ヒト種全体が、亡んでしまう。

 だから、ぼくらは、戦わなければならない。
 亜種記には、ヒノーモロー島やザペングール島に、ぼくら自然{民族|エスノ}も巨大な工場を持っていると、書いていた。
 隠密で、新型の電脳チップを開発しているようなことも、書いていた。
 でも、基本は、今も昔も、ぼくらは悠久、心を鍛えることを、第一の修行としてきている。
 心を、どうやって武器に変えるんだろう。
 それができなければ、ぼくらの亜種は、一番に亡びる。

2024.3.3 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第12回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第12回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (2)

 武家屋敷になぞらえるならば、そこに、おはぎが登場しても、不自然ではない。
 でも、ここで武家屋敷に譬えたのは、精神面でのことだ。
 生活面でなぞらえるなら、オンボロ長屋で暮らしている貧乏一家である。
 そこに、高級和菓子のおはぎは、似つかわしくない。
 おはぎは、エセラの父の大好物だった。
 でも、この一家に、うるち米も粒あんも、買えるはずもない。
 おはぎとは名ばかりで、麦飯を俵形に握って、ひじき煮をまぶしただけの、云わばひじきのおにぎりだった。
 この家に初めて本当のおはぎが登場したのは、エセラの父が出て行って暫く経ってからのことだった。
 父からの仕送りが、始まったのだ。
 大した金額だったことは一度もなかったが、封筒の中のお札を包んでいる便箋に、彼ら自然{民族|エスノ}にとって最も価値があることが、書かれてあった。

 その夜も、エセラの家族恒例の夜会が、始まった。
 {美童|ミワラ}たちは、他人の前では無口である。
 でも、{同胞|はらから}の親族だけの集まりになると、みな{饒舌|じょうぜつ}になった。
 ほのみが、言った。
 「ヒトだけ、変だよね。
 鹿さんも、ウリ坊くんも、たぬきさんも、みんな普通なのに、ヒトだけ、変だよね。
 ぼさぼさの茶色い髪の毛の男の子、灰色でぺちゃんこの髪の毛のオッサン、真っ白い毛の塊を、滑り落ちそうな頭の地肌の上に載せているお爺さん。
 ヒトだけ、変なことばっかやるよね。
 亀さんなんか、何も変わらずに長生きするんだから、すごいよね。
 ヒトだけ、なんでいつも、変わろうとするのォ?」
 「亀さんだて、変わるのよ」と、ゆか里。
 「どこがァ?」と、えみみ。
 「亀に訊けばァ?」と、トモキ。
 「亀になってみれば、自分が、その答えを教えてくれるよ」と、エセラ。
 「亀になれるのォ?」と、めろん。
 「亀の気持ちになってみればって意味さ」と、エセラ。
 「相手の心の中に入って、そこから自分を観るんだよ。
 武の心、{戈|ほこ}を{止|とど}めさせる技さ。
 {美童|ミワラ}のうちに身に着けとかなきゃ、{武童|タケラ}になってから苦労するんだからね」と、ゆか里。
 「鷺助屋の連中みたいにぃ?」と、ほのみ。
 「あいつらは、そんな修行なんてしないよ。
 そもそもあいつらは、戦いたいんだから」と、エセラ。
 「今、あんたたちが思ってることが正しいだなんて、思わないことだね。
 自分が正しいって思った時点で、ヒトの成長は、終わるんだ。
 一所懸命、一生懸命に生きてみて、やっと判る場合もあるし、そこまで頑張っても、やっぱり判らないことだってあるんだよ」と、ゆか里。
 「いっぱい考えて頑張っても、何も解らないまま死んじゃうこともあるってことォ?
 だったら、何も考えないで死んだほうが、幸せなんじゃない?」と、えみみ。
 「そうだよ。
 ぼく、嫌いな人の心の中になんか、入りたくないもん!」と、トモキ。
 「ヒトっていう生きものはねぇ。
 謎にぶつかると、それをどうしても解きたいって思ってしまう生きものなのさ。
 今、おまえたち、なんでそんなふうに思ってしまうのかって、疑問に思っただろォ?
 だから、なんで疑問に思ったかってことを疑問に思ってしまうと、堂々巡りになって、それもまた、成長を止めてしまうんだよ。
 だから、何を考えれば己の心が成長できるのか、それを考えなきゃダメってことさ」と、ゆか里。
 ……今宵の夜会、終了。

 ほのみたち女子を寝かしつけるのは、ゆか里の役目だった。
 母は、女神の話が好きだった。
 武装したアテナ、霊的なマリア……えみみとめろんは、ほどなく{微睡|まどろ}み、眠りについた。
 ゆか里は、女性的なアマテラスの話が一番好きだったが、そこは、ほのみも母譲りなのか、母の話にアマテラスや{巫女|みこ}たちが出てくると、微睡むどころか、目を閉じたまま耳に神経を集中させて、その話が途切れると、抗議するかのように薄目を開けて、母に訴えるのが常だった。
 
 エセラは、{衝立|ついたて}の向こうから洩れ聞こえる母の話に耳を傾けるうちに、時おり母の話に出てくる男神スサノヲのことを思った。
 アマテラスを慕いながらも、已むに已まれぬ反抗と乱暴が、スサノヲに対する新たな誤解を生み続けていった。
 エセラは、スサノヲのことを思うたび、自分の境遇とその生涯を、スサノヲのそれと重ね合わせた。
 姉、アマテラスとの決別。
 父との決別、母ゆか里との決別、花子ばァばとの決別、そして、妹や弟たちとの決別……。
 (ただの一人だって、ぼくの味方はいないんだ)
 それが、動物として産まれたがゆえの宿命だった。
 それを、否定したいわけではない。
 ただ、それを受け容れるには、エセラは、まだ幼過ぎた。

 裏部屋の腰窓は、{鎖|とざ}されたままだった。
 まだ父がこの家に居たころ、その腰窓は、いつも開け放たれていた。
 窓の外を覗くと、父の姿が見えた。
 雑木林のコナラの木を伐採した切り株をスツール代わりにして、腰を掛けて本を呼んでいることが多かった。
 そして、エセラの視線に気づくと、ニコリともせずに、手招きをする。
 平屋の家を廻り込んで父のところまで行ってみると、いつも、五右衛門風呂用の巻割りを手伝わされた。
 父は、季節を問わず、その雑木林の中に住まっていた。
 粗末な山小屋をこさえていたのだが、それが、さながら秘密基地のように目に映り、エセラが好きな場所の一つになっていた。

 その山小屋の床には、東西の神話の本が、山崩れを起こしていた。
 本の山を崩すのは、いつもエセラの仕業だった。
 父に、本を借りたいと申し出たことは、一度もなかった。
 いつも、盗み読み。
 なぜいつも、父に隠れて本を読んでいたのか、エセラ本人にも解らなかった。
 しかも、盗み読みを自認していながら、崩れた本を元のように整えようとはしなかった。
 (ぼく、ちゃんと一人で生きていくから、今だけは、一人にしないで……)
 そんな思いが、込み上げてきた。
 本の文字が、潤んでぼやけた。
 そして、父がこの家を去ったその夜から、それらの本は、一冊残らず、五右衛門風呂の助燃材となった。

 毛足が摩耗して消滅してしまった毛布を頭から被って、今夜もまた、エセラは眠りに落ちた。
 
2024.3.2 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第11回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第11回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (1)

 毎年、そして毎日も、律儀に何かが消えてゆく。
 海水浴場の看板、鳥や魚や貝たち、漁船に桟橋に港の市場、カントダキ屋、イルモン屋……。
 カントダキ屋で「関東炊き」と呼ばれていたおでんは、実に美味しかったし、イルモン屋も、駄菓子とか乾電池とか、絶妙に{要|い}るもんがそれなりに置いてあって、それはそれで便利だった。

 そんななかで、まだある存在たち……。
 墓場の数だけあるお寺、日焼けした子どもたちが少々、灰色に{渇|かわ}いた平屋、すべての存在を迷惑そうに射ているような有害な{眩|まぶ}しさ、益々{廃|すた}れゆく{獣道|けものみち}、荒れた小さな庭と乾いた{薔薇|バラ}の花と雑草に埋もれた鉄平石、{朽|く}ちたゴムタイヤのアスレチック遊具、その古タイヤをベンチ代わりにして動かない老人たちが少々、昼間でも暗闇の森、廃棄物集積所と化した生{温|ぬる}い海、ゲリラ豪雨と豪雪を繰り返す未慈悲な空。

 寺学舎のある港町と、その西隣りで依然ひっそりと{佇|たたず}まっている浦町は、今も昔も、大きく変わったところはない。
 相変わらず、狭いメイン通りの両側にある民家や町工場が、港町のほうは並んでいて、浦町のほうは点在している。
 少女が、港の広場に昆布を敷いて、その両側にジャガイモとショウガを並べて遊んでいた。
 浦町こっこと呼ぶままごとだそうだ。

 港町も、浦町も、{余所|よそ}者を受け{容|い}れる空き家には困らなかったが、働き口がない。
 ただ、この町で産まれた者が、この町の墓石の下に戻ってゆくだけのことだ。

 エセラの父が姿を消してから、もう八年が経つ。
 最後に産まれた次男のトモキは、父親を知らない。
 長女のほのみが{微|かす}かに覚えているくらいで、次女のえみみも、三女のめろんも、父親の記憶はほとんどない。
 そんなわけで、一の{喜|き}家は、母ゆか里と五人の子どもたちの六人家族だ。
 父親は婿入りなので、一の喜の姓は、母方の名字だ。
 そこに、祖母の花子ばァばが、時おり顔を覗かせる。
 花子ばァばは、ゆか里の実母だ。

 相変わらず、花子ばァばの差し入れは、おはぎが多かった。
 エセラは、この想夏で、十三歳になった。
 {美童|ミワラ}たちの誕生日は、みな同じ。
 想夏の初日、八月一日だ。
 エセラは、十三歳になると同時に、学徒学年から門人学年に進級した。
 これから一年以内に、{仕来|しきた}りの旅を終わらせなければならない。
 それは、自由を与えられたことに他ならないのだが、それゆえにエセラは、背後から追い駆けて来る自由と、{腸|はらわた}に重く{伸|の}しかかる自由に、正直、疲弊する思いで日々を過ごしていた。

 ある日、エセラは、己の勇気に問いかけてみた。
 「ぼくのこと、嫌いなの?」
 勇気は、何も応えてはくれなかった。

 ある日、台所で母を見つけた。
 そこで、母に訊いた。
 「ぼくって、馬鹿だと思う?」

 キョトンとした目でエセラの顔を見返した母ゆか里は、そう言った本人のエセラもキョトンとした目をしていることに気づいて、思わず失笑した。
 すると、エセラが続けて言った。
 「あのね、勇気は、ぼくのことが嫌いなんだ。
 かあさんも、ぼくのこと、嫌い?」
 母ゆか里が、応えて言った。
 「かあさんが嫌いなのは、ダイエットを邪魔するやつだけさ」
 「ダイエットって、ぼくら、{肥|ふと}るようなもん、食べてないじゃん」と、エセラ。
 「ばァばが、いつも持ってくるだろッ?
 ……おはぎ」と、ゆか里。
 「禁おはぎだったの?
 おかあさん。
 知らなかった。
 いつも美味しそうに食べてるから……」と、エセラ。
 「あんたたちがお腹の中に居るときはさァ、肥満は胎児に遺伝するからって、頼んでも持ってきてくれなかったんだよ。
 お互い、その反動っていうかさァ。
 おまえたちが産まれると、待ってましたーァ!!って言わんばかりに、繁々と持ってきてくれるんだわァ。
 で、さァ。
 かあさんもさ、嫌いじゃないからさァ、おはぎ。
 しかも、ばァばのおはぎって、ハンパないじゃん。
 あの美味しさったら……。
 だからさァ、ついつい食べ過ぎちゃうのさ。
 悪いのは、ばァばだよ」と、ゆか里。
 「ふーん。
 だから、ダイエット?
 かあさんが肥ってるところ、見たことないけど。
 ダイエットしてるから?
 てか、なんでダイエットしよう思うたん?」と、エセラ。
 「嗚呼、やっぱり……」と、ゆか里。
 「何がァ?」と、エセラ。
 「油断しとったら、またやられてしもうたじゃないねぇ!
 あんたの{面倒|めんど}っちい質問攻めに巻き込まれることよねぇ!」と、ゆか里。
 母の唇は{歪|ゆが}んでへの字を描いていたが、目は笑っていた。

 ゆか里のダイエットの{経緯|いきさつ}……。
 浦町から東も東、大きな川を渡ったところに平野が拡がり、文明の町がある。
 文明{民族|エスノ}が住まっている。
 そこに、エセラの叔母の家族が住んでいる。
 はな美……ゆか里の妹だ。
 家父長の山田{青竜|しょうたつ}、一人息子の{陽洋|ようよう}の三人家族だ。
 はな美は自然{民族|エスノ}の{武童|タケラ}、青竜は和の{民族|エスノ}、その二人の間に産まれ陽洋は、事情あって和の{民族|エスノ}となる。
 
 元来心配性の花子ばァば、何かにつけて、いそいそせっせと、はな美の住まいまで足を運んでいた。
 おはぎが、その*何かに*に一役買ってたことは、言うまでもない。
 昨今、大人でも、おいそれと文明の町に足を踏み入れれば、命取りとなる。
 それが、数年前までは、失命に迫られるほどの危険はなかったのだ。
 ある日、ゆか里は、花子ばァばに誘われて、かばん持ちならぬ、おはぎ持ちの役を担って、妹はな美の住まいを訪ねた。
 その時に見た妹はな美の姿が、衝撃的だった。

 「何をぶくぶく{肥|ふと}っとんねぇ!
 あんた、任務忘れたんねぇ!
 ぼーれぇ、肥っとるじゃないねぇ!
 えーかげんにせんとォ、なんぼ妹じゃいうても、ブチくらわすでぇ!
 かあさんもかあさんよねぇ。
 おはぎばァ持ってくるけぇ、ぶくぶくぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく肥るんよねぇ。
 ちーたァ考えんさいやァ、あんたらァ!」
 ……と、ゆか里。
 「まァ……まァまァ」と、恐る恐るなだめる花子ばァば。
 無言……落ち込む妹、はな美。

 まあ、そんなこんなの経緯で、妹を反面教師にしたゆか里が、自主的にダイエットを始めたというわけだ。

 台所でゆか里とエセラが立ち話をしていると、防空壕跡に沿った通路を除いてはこの家に一間しかない部屋……八畳の間から、ぞろぞろと子どもたちが這い出て来た。
 腹が{空|す}くと、動き出すのだ。
 一番、長女ほのみ、十一歳。
 二番、次女えみみ、十歳。
 三番、三女めろん、八歳。
 四番、次男トモキ、七歳。
 以上、まるで整列登校。

 班長のほのみが言った。
 「今日は、おはぎ{来|こ}んのん?」
 「おはぎじゃないでしょ?
 花子ばァばでしょ?」とゆか里。
 「そうとも言う」と、トモキ。

 この時代、言うなれば、乱世の武家屋敷のひとコマ……であることは、紛れもない事実なのではあったが……。 

2024.2.25 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第7回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第7回

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

   警醒から学ばねば、自覚は邪知に堕ちる

 知命に残された猶予は、あと一年。
 十四の年から運命期に入り、晴れて{武童|タケラ}となる。
 この一年で{仕来|しきた}りの旅を終えて知命しなければ、{美童|ミワラ}のままで、運命期ではなく、無知運命期となる。

 先人の教え……古教は、現世の危機を救う{警醒|けいせい}である。
 それを自覚するが、学問。

 {聖驕頽砕|せいきょうたいさい}の戦いで国が亡んで以降、日本人は、学問をしなくなった。
 {日|ひ}の{本|もと}の国を被保護国として合法的に占領したアメリカも、敗戦の混乱に乗じて北方の領土を不法占拠したロシアも、日本人に国土を荒らされて軍国主義という邪知にに目覚めてしまった中国も、密かに{強|したた}かに学問に努めて、独立国家を堅持している。

 亡んでしまったものを、今更どうこう言っても仕方がない。
 聖驕頽砕とは、よく言ったものだと思う。
 聖戦と称して、有色人種の独立運動を助ける。
 確かに、戦い始めた当初は、亜細亜の東や南東の民族から、「独立の兄」などと呼ばれて、その胸には正義があったんだと思う。
 ところが、単純な日本人は、周りの民族から祭り上げられて、{驕|おご}り高ぶり、その胸の中の心の根が腐り、{頽廃|たいはい}してしまった。
 {挙句|あげく}、{玉砕|ぎょくさい}。
 {終|しま}いに、亡んだ。
 一部の{為政者|いせいしゃ}たちの、{自業自得|じごうじとく}。
 国民は、大きな迷惑だ。

 日の本の国は、軍国主義に走って滅び、中国も、同じ道を辿ると言われている。
 ここで、不思議なことがある。
 東洋哲学は、なぜ崇高なのか。
 言わずもがな、中国の古教だ。
 日本にも、兵書の闘戦教、吉田松陰の詩、教育勅語と、中国の古教にも引けを取らない警醒の哲学がある。
 なぜ、荒廃して亡んだ日の本や、亡びゆく中国の{古|いにしえ}の時代に、{斯|か}くも崇高な哲学が生まれたのだろうか。

 優れた為政者たちが{鎬|しのぎ}を削っていた維新・明治の時代……どんな時代だったんだろう。
 彼らは、こぞって、王陽明の教えを学んでいた。

 王陽明が生きたのは、中国の明代後半。
 明朝を開いた太祖の{朱元璋|しゅげんしょう}は、まったく一介の野人から身を起こして天下人となった。
 {志那|しな}二十四史だか二十五史だかの中でも、極めて珍しいケースだ。
 まさに、希代の始まり。
 朱元璋は、貧農の生まれで、皇覚寺という貧乏寺の修行に出されて、小僧となった。
 早い話が、山寺の乞食坊主だ。
 この頃、宗教の{匪賊|ひぞく}、教徒を中心に貧しい者たちが決起して、大動乱を起こす。
 いわゆる、{紅巾|こうきん}の賊だ。
 朱元璋は、この動乱に身を投じ、たたき上げのさなか師につき、{孜々|しし}として書を読み、猛烈に学んで道を修め、教学や文化に大きく貢献するに{止|とど}まらず、終には皇帝の座に着くのである。

 でもまァ、人も世も、いずれは{緩|ゆる}む。
 驕り高ぶって亡んだ日本人も、例に漏れない。
 自分の座を守ることに気を持って行かれると、周りの誰もが信じられなくなる。
 疑心暗鬼が度を増すと、戦友や親友をも暗殺する。
 そうなると、己の周りの取り巻きは、性根の腐ったイエスマンばかりとなる。

 斯くして希代明朝は、次第に衰退してゆく。
 王陽明は、その中期、衰退への混乱がやや小康している頃に現れた。
 時代は、{俄|にわ}かに物情騒然、乱世へと転がり落ちてゆく。

 そんな中、王陽明は、匪賊の{叛乱|はんらん}の鎮定に派遣され、宮廷に戻されると、{奸臣|かんしん}たちの迫害を受けながら、毅然として哲学の重要性を主張した。
 その学問や弟子たちへの教示は、叛乱鎮定で派遣された戦地や、宮廷の{帷幕|いばく}を縫って行っていた。
 まさに、活学だ。

 この時代も、現代と変わらず、学問だの教育だのといったものは、{官吏登庸|かんりとうよう}試験の科挙に合格するための功利的にして暗記型の勉強に過ぎなかった。
 そんな時代背景にあって、王陽明は、失われた道徳を回復すること、人格を磨くこと、身心ともに学ぶことを、講じ続けた。
 これが、世にいう聖賢の学だ。

 しかも、これを健常な身体でおこなったのではない。
 若いころから肺病を患い、{病躯|びょうく}を押して血を吐き吐き、戦で負傷して包帯を巻き巻きしながら、終に足腰が立たなくなってからも、講じることを止めなかった。

 王陽明は、優れた為政者であり、優れた将軍であり、優れた哲学者であり、優れた詩人であり、優れた書家であり、親孝行で心優しい家父長でもあったのだ。
 
2024.2.23 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第10回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第10回

   嗚呼、迫る

 エセラ、十二歳。

 窓の外を見ると、今でもそこに、父さんが居るような気がした。
 実際は、雑木林が繁っているだけだった。
 その雑木林の斜面を少し登ると、半島の南端に辿り着く。
 崖の下には、ダキの浜がある。
 {磯女|いそおんな}が、住んでいるそうだ。
 だから、誰も、崖の上には立たない。
 ぼくも、すぐそこなのに、まだ行ったことがない。

 父さんは、雨の日は必ず、音楽を聴いていた。
 「民族愛が、感じられる。
 いい音楽だ。
 山のロザリア。
 ロシアの民謡。
 北国の青い空……」
 と、そんなことを独り{言|ご}ちていた。

 「民族愛ってぇ?」と、ぼくが訊いたんだったと思う。
 父さんが、応えて言った。
 「絶妙に、どちらかが耐えるということだ。
 耐えるには、強さが要る。
 我が{儘|まま}に育ち、人間力に欠くるやつらに、民族愛はない。
 文明の亜種どもは、仕方がないを、日常知とする民族だ。
 だから、平気で人を殺す。
 長い人生、人の一人や二人殺すのは、仕方がないと考える。
 それが、当たり前になる。
 二人が三人、三人が百人にも千人にもなる。
 それもまた、仕方がないと考える。
 怖ろしいことだ」

 {傍|はた}で黙って聞いていた母さんが、継いで言った。
 「{聖驕頽砕|せいきょうたいさい}で、{日|ひ}の{本|もと}の国は、亡んだのさ。
 国民は、戦争が終わって、悲嘆と安堵に沈んでいった。
 そこから、忍耐と勇気、希望と努力、自由と無関心、欲望と残虐、権力と放棄、{傲慢|ごうまん}と衝突を経て、再び{瓦礫|がれき}と{屍|しかばね}に戻る。
 それが、わたしたち人間の、百年のサイクルさ。
 もう、寝なさい。
 頭の中の脳ミソには、限界がある。
 あとは、腹の中の脳ミソに任せなさい。
 いいね」

 次の朝、最初に会った人間は、花子ばァばだった。
 目覚めたぼくを覗き込んで、ばァばが言った。
 「おやおや、まあまあ。
 略して、おやまあ♪
 そんなに歯を食い縛って寝てたら、大人になるまでに歯が擦り減って歯茎だけのエセラじぃじになっしまうよ。
 ほら、もうちょっと寝てな。
 ほんでもって、おまえの潜在意識に、不合格~って言ってやんな。
 寝覚めが悪いと、ろくな一日にならないからねぇ」

 ぼくの潜在意識は、再びぼくと交わることを、拒絶した。
 ぼくは、仕方なく、ばァばに話しかけた。
 「ねぇ。
 幽霊って言葉があるってことは、幽霊が存在するから、幽霊って言葉ができたんでしょ?」

 花子ばァばが、仕方なく応えて言った。
 「まったく。
 まどろっこしいっていうか、面倒臭い子だねぇ。
 {成仏|じょうぶつ}してくださいなんて無責任なこと言うから、化けて出るのさ。
 ちゃんと{鎮魂|ちんこん}してやんなきゃダメなんだよ」
 「チンコをチンコンしたら成仏いsちゃうの?」と、ぼく。
 「あんたのチンコは、チンコン♪って鳴るのかい!
 おまえらしいチンコだこと。
 曖昧と危うさを残したまま死ぬと、幽霊になって{彷徨|さまよ}うんだよ。
 人間にも幽霊にも、岐路ってもんがあんのさ。
 {獣道|けものみち}を歩いてっと、水みちが分かれてるところがあるだろッ?
 それが、岐路さ。
 そのときの判断が曖昧だと、その後の人生が、危うくなる」と、ばァば。
 「母さんのダイエットみたいだね」と、ぼく。
 「曖昧で危ういってかい!
 微妙に的を射た例えだね。
 でもね。
 方法なんて、どうだっていいのさ。
 大事なのは、理由だよ」と、ばァば。
 「生きる理由とかァ?
 じゃあ、蝉たちは、なんで生きてるの?
 なんで鳴き続けるの?
 卵を産んでくれる{雌|メス}を探すために鳴いてるんでしょ?
 頑張り過ぎて、すぐに死んじゃうじゃん!
 だったら、方法を変えて、長生きすればいいのに……」と、ぼく。
 「そういうのを、大努力っていうのさ。
 地上に出て、大努力して、やっとちょっとだけ、生きられる。
 それでやっと、子ができ、孫ができ、種は存続する。
 大人たちは、大努力がしんどくなると、すぐに呪文みたいに神様、神様って、連呼するだろッ?
 神様だって、暇じゃないんだ。
 無闇に頼みごとばかりしてると、古神様になって、成仏しちまうよ。
 今のヒト種ってのはさァ。
 強欲なだけで、理由もないのに生きているだけの、下等な種なのさ」

 花子ばァばと話し出すと、延々と終わらない。
 花子ばァばも、ぼくも、同じ血なんだなって、じみじみ思う。

 もうすぐぼくは、門人学年になる。
 昔の{美童|ミワラ}たちは、もう今ごろは門人学年になって、{仕来|しきた}りの旅をしている頃だ。
 来年には、学人学年になって、知命に到る。
 そして、再来年からは、晴れて運命期の{武童|タケラ}だ。

 今どき、そんなに早く{武童|タケラ}になれる{美童|ミワラ}はいない。
 でも、急がなきゃ。
 急ぐ理由も、{武童|タケラ}になる理由も、知命しなきゃいけない理由も、いっぱいいっぱい、理由を考えなきゃ!

2024.2.18 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

_/_/_/ 然修録 第2集 _/_/_/ 第6回


   人生の戦略

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

 寺学舎で、こんなひとコマがあった。

 「あんたさァ、なんで笑わないの?」と、女先輩。
 「ナイーブだと思われるから」と、ぼく。
 「あんた、ナイーブの意味、知っとるん?」と、女先輩。
 「犯罪誘発者」と、ぼく。
 「最短距離ね。
 ダメじゃん!」と、女先輩。
 「なんでぇ?」と、ぼく。
 「遠回しの言い方、覚えなさいよ」と、女先輩。
 「なんでぇ?」と、ぼく。
 「あんたも、座森屋の血統なんでしょ?」と、女先輩。
 「うん」と、ぼく。
 「だったら、{武童|タケラ}になったら、潜入班だろッ?
 潜入して、無愛想で、言い{難|にく}いことをズケズケ言ってると、目をつけられる。
 目をつけられると、疑われる。
 疑われると、密偵だってバレる。
 バレたら、殺される。
 殺されたら、任務を果たせない。
 任務を果たさなきゃ、非族民。
 非族民は、あの世に行って、いじめに遭う。
 そういう人生、送りたい?」と、女先輩。
 「遠回しだと、どう言うのォ?」と、ぼく。
 「お人好し。
 世間知らず。
 考えるトレーニングをしなかったんだから、自業自得ってやつなんだけどさァ。
 でもね。そういうやつらのほうが、あたいらにとっちゃあ、都合がいいのさ。
 何も考えないで、あたいらに情報を洩らすってことだろッ?
 あんはさァ、まだまだ考えるトレーニングが足りないってことさァ」と、女先輩。
 「どうやってトレーニングすりゃーえん?」と、ぼく。
 「先人{先達|せんだつ}の人生の戦略を比較して、自分にはどんな戦略がいいか、考えるんよねぇ!」と、女先輩。
 「{面倒|めんど}っちいね」と、ぼく。

 そんな{訳|わけ}で、読む本の傾向を、変えてみた。

 教育。
 教えて解ることなら、教育は要らない。
 教えても解ってもらえないから、そいつの心の中でその教えが{育|はぐく}まれるように、根気よく、懇々と教え続ける。
 忍耐勝負だ。
 これは、座森屋一族の得意分野。
 鳴かねば殺せ式の鷺助屋の連中には、無理な相談だ。

 旅館の女将が、教育のことを書いていた。
 「現場に宝物あり」
 現場にいなければ判らないことがたくさんあるから、出来る限り玄関に立ち、
 廊下を歩き、危ないこと、良くないことを、その場で注意し、その場ですぐに直させるんだそうだ。

 継いで、客室係の後輩たちを、一人前に教育するための十ヵ条。

 一に、笑顔で相手のことを{褒|ほ}める。
 上から目線で「ご苦労さん」などとは言わず、「ありがとう」と言う。

 二に、頭ごなしに叱らない。
 「なんしょんねぇ、この馬鹿たれぇがーァ!!」などとは言わない。
 そんな言い方をすると、相手の心が反発してしまう。
 だから、相手の言い分をちゃんと聞いてあげて、良いところは認めて、悪いところだけ、「これからは、気ーぃつけてね」と、的を絞って注意する。

 三に、心を通じ合わせる。
 朝会ったら、こちらから先に「おはよう」と言い、相手の体調を観察して、心配なところがあれば、気遣う言葉をかける。

 四に、時には、気分転換をさせる。
 精々、研修や講演会……にしても、ぼくたちの{仕来|しきた}りの旅の目的に、通じるところがある。

 五に、不器用な人や要領が悪い人には、目をかけ手間をかけて可愛がる。
 できる人は、{放|ほ}ったくっといても、ちゃんと考えて努力する。
 だから、できている人に手間をかける必要はない。

 六に、自己啓発に目覚めさせる。
 お茶、生け花、作法……。
 旅館のスタッフならではの自己啓発だな。
 病院のスタッフなら、マグロの解体ショー?

 七に、一言多い人、段取り優先な人を、注意する。
 言わなくてもいいことを口走ったがために、クレームになる。
 相手の都合や希望を無視して、自分たちの段取りを優先にすると、クレームになる。
 お客様は、一人ひとりみんな違うのだから、一律の段取りで対応すると、お客様の不満を{煽|あお}ることになる。
 世のため人のためとは言うけれど、世の人たちも、一人ひとり、みんな違う。
 奉仕とは、実に難儀だ……と、思う。

 八に、知識を教える。
 料理、郷土史、美術工芸品……これも、旅館ならではの知識。
 では、スパイは?
 殺し屋は?

 九に、相性が合わないスタッフがいたら、配置転換をする。
 なるほど。
 嫌いなもんは嫌いだし、誰かから「仲良ししなさい!」って言われても、すぐには仲良くなれない。
 だから、延々百年ごとに、戦争が起きてしまっているんだろうと思う。

 十に、最終的な責任は自分にあるという決意を、伝える。
 失敗が怖いから、創意工夫も、新しいことにも、尻込みしてしまう。
 「わたしが責任を持つから、自分が正しいと思ったことを、おやんなさい」などと言ってもらえたら、職場愛が育まれ、創意工夫や改善も活発になる。
 トップは、孤独。
 責任重大って、そういうことなんだなと思う。

 女将さんの仕事は、舞台づくり。
 そこで優美に舞うのが、旅館のスタッフさんたちなんだそうだ。
 トップとは、組織のみんなが、活き活きと楽しみながら働ける環境を、作り上げる……そのために、粉骨砕身する生きものらしい。

 {煉瓦|レンガ}を四角錐に積んでいくと、一番上に積めるのは、一個だけ。
 しかも、強風が来て飛ばされるのは、一番上の、一個だけ。
 確かにトップは、孤独だな。 

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂

_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第9回


   家族

 エセラ、十一歳。

 書くと、頭の中を整理できる。
 だから、書いているだけ。
 これが後裔記だとは、誤解しないでほしい。

 ぼくの頭の中には、息恒循の教学書で学んだ数々の断片が{放|ほ}ったくられている。
 依然、大きな努力はせず、{己|おの}の命はこの浦町に生き、この家に宿り続けている。
 平時の子どもなら、それでも合格だ。

 でも{美童|みわら}は、天命の定めと、その流に{順|したご}うて生きる。
 そして、学徒学年から門人学年に進級すると、立命期の大仕事に取り掛かる。
 この世のすべての常識を疑い、町も家も{棄|す}て、旅立つ。
 そして、立命期最大の難所、知命。
 覚悟、確信、大努力を、己に誓う。
 しからば、やっと運命期。
 命が尽きるまで、真実を探り、闘い続ける。

 ふと、あることに気づいてしまった。
 腰窓に腰掛けているのは、ぼくの幽霊だ。
 いつも、振り返ろうとしてそうはせず、左右を見ようとしてもそうはせず、身体を揺らそうとするがそうはせず、{躊躇|ためら}いを大事そうに保ちながら、ただそこに居るだけだった。

 腰窓がある部屋の壁は、{法面|のりめん}の{朽|く}ちた{間知石|けんちいし}で、薄暗くて、{靄|もや}っていて、窓から陽の光が射すと、いつもキラキラと{砂埃|すなぼこり}が舞っていた。
 そのお陰で、ぼくの幽霊は、まだ陽が落ちていない夕方から、慌てるふうもなく、腰窓に腰掛けて、得意の躊躇いのポーズをしていられるのだった。
 今日の帰宅は、ぼくが一番で、ぼくの幽霊が、嬉しそうに、いつものように躊躇いながら、出迎えてくれた。

 玄関のほうから、人の声が聞こえる。
 次に帰ってきた家族は、妹たちでも、母さんでも、当然父さんでもなかった。
 母ゆか里の母親、花子ばァばだった。
 ドカドカッと、いつもの足音。
 薄暗い裏部屋に顔だけ覗かせると、ぼくの目を見るでもなく、独り{言|ご}ちるように、言った。

 「変だねぇ。
 教学に飽きて帰って来るような子でもないし。
 どんくさいけど、誠実。
 要領は悪いけど、{一途|いちず}だからねぇ。
 まァ、あんたの心配は、後にしましょう。
 やることやっとかにゃあ、あんたの母ちゃんに怒られるけぇねぇ」

 花子ばァばは、そう言い終わるや{否|いな}や、手際よく掃除を済ませ、台所に立った。
 台所は、法面に掘って造られた防空壕を塞いだ木の蓋の先にあった。
 この家、入り口から入るとすぐに板床の台所があり、そのすぐ奥が法面になっている。
 その法面を仕切っている壁の法面側の狭い廊下のような部屋が、裏部屋だ。
 その仕切り壁の手前に畳敷きの部屋があり、大きな仏壇が据わっている。
 その和室の手前にも廊下のような板床の通路があり、その前面に掃き出し窓が{嵌|は}まっている。
 その掃き出し窓の端っこには、五右衛門風呂とポッチョン便所の粗末な建屋が増築されていた。
 文明期と言われた昭和、平成、令和の時代も、この野島水軍の{傭兵|ようへい}たちが隠れ住んだ谷川沿いの峠の集落は、アメリカの保護国になる前の独立国だった古き良き時代の生活スタイルを。頑なに護ってきたのだ。
 ……と、そう言えば聞こえはいいけど、実際は、不便極まりない。

 そうこうしているうちに、妹たちが帰ってきた。
 {煩|うるさ}い、騒々しい、面倒臭い、迷惑極まりないやつらだ。
 
 「ほら、食べな」と、花子ばァば。
 「いらない」と、ほのみ。
 「なんでーねぇ!」と、ばァば。
 「だって、ふたっつしかないじゃん」と、ほのみ。
 「めろんは、まだ小さいからねぇ。
 これは、あんたとえみみのぶんよねぇ」と、ばァば。
 「めろんはァ?」と、ほのみ。
 「バナナ、持って来とるよねぇ」と、ばァば。
 「ふーん」と言いながら、おはぎを頬張るほのみ。

 そこで、なんで、「兄ちゃんはァ?」という言葉が、出てこないんだろう。
 めろんがバナナってことは、ぼくとトモキにはァ?
 孫が五人、口を開けて待っているんなら、普通、おはぎが二個とバナナが一本ときたら、次にアンパンが2個とか出てきてもいいもんだ。
 でも、我が家は、そうはならない。
 ぼくがまだ幼いころ、花子ばァばは、よく言ったものだ。

 「男はねぇ。
 {貰|もら}い{癖|ぐせ}がつけちゃいけんのよねぇ。
 欲しいもんがあったら、自分でどうにかせにゃあ。
 自分の欲しいもんだけじゃない。
 ほのみやえみみが欲しがるもんも、大事な人らがしてほしいことも、世のため人のために、どうにかせにゃあいけんことを、他人を頼らんと、自分でどうにかせにゃあいけん。
 ほじゃけぇ、あんたにゃおやつはないんよねぇ。
 トモキも、あんたくらいになったら、おやつはなしじゃけぇ」

 まるで、貧に堪え忍ぶ下級武士の大お母さまだ。
 ばァばだけじゃない。
 下級武士本人……ではなく、父さんが言った言葉も、覚えているものは、すべて貧困幕末志士そのものだった。

 「読んでつまらんなら、やめろ。
 やってもつまらんなら、それもやめろ。
 なんでつまらんか、わかるか。
 志がないからだ。
 無駄に命を削るなということだ。
 聞こえるだろう。
 どくっ、どくっ、どくっ。
 命が削れる音だ。
 すうはァ、すうはァ。
 いっときも休まず、命を削り続ける。
 その証が、生きてるってことだ」

 そんなことを言われても、幼いぼくが解るはずがない。
 ぼくは、訊いた。

 「でーぇ、どうすればいいの?
 読むの、やめちゃってもいいの?」

 父さんの答えは、こんなふうだった。

 「実際に、自分がやってみるために、最小限必要なところだけ読めばいい。
 自分がやりもしないことを、読む必要はない。
 読んだなら、記憶に残す前に、先ずは実践しろ。
 糸電話の作り方の本を読んだら、作り方を覚える前に、実際に作ってみろということだ。
 自分を、大事にしろ。
 そうすれば、他人から言われなくても、家族や親族、仲間や、延いては敵対する人間たちにも、思い遣りを向けることができる。
 相手が振り上げた{矛|ほこ}を、{止|とど}めさせることができる。
 戈という字に、止めさせるという字。
 書いてみろ。
 武士の武の文字は、そういう意味だ。
 それを学ぶものが{美童|ミワラ}で、それを実践する大人が、{武童|タケラ}だ」

 ヒト種は、三つの亜種に分化して、そのうちの二つの亜種が、敵対している。
 文明{民族|エスノ}と、ぼくら自然{民族|エスノ}だ。
 そして、その自然{民族|エスノ}も、武の心を重んじるぼくら座森屋の血筋の一族と、文明{民族|エスノ}の根絶やしを目論む鷺助屋の血筋の一族の二派に、分かれてしまった。
 何れ、この二派も分化して、敵対する日が来るのかもしれない。

 ぼくは、何を学びたいんだろう。
 実践したいことを学ぶんだとしたら、何をやりたいかさえはっきりすれば、学ぶことで悩む必要はなくなる。
 ぼくは、何をやりたいんだろう。

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂

_/_/_/ 後裔記 第2集 _/_/_/ 第8回


   傍観者

 エセラ、九歳。

 二年ぶりに、後裔記を書く。
 あれから、二年……。
 二年経ったぼくは、やっぱり真相のことを考えていた。

 ほらまたァ!
 ぼくの頭の中に、真相と題した映像が、映し出されている。
 人は、無力だ。
 その無力さは、考えれば考えるほど、怖ろしくなる。
 鳥たちや、野山の小動物たちよりも、身体の自由が利かない。
 浅瀬の小魚たちよりも、考え方が、子どもっぽい。
 鳥たちも、小動物たちも、小魚たちも、自分より大きなものや強いものから自分や家族を護るための身体の自由がある。
 そのための気構えも、たっぷりだ。

 ところが、ヒトはどうだ。
 ひとたび、野山なり海なり、生身の自然の中に放り出されるや、おろおろ、ぐるぐる、壊れた掃除ロボットが延々と零の字を描くように、{戯|たわ}けて愚かな堂々巡りを続けるしか能がない。
 
 今日もまた、ぼくは、空に居る。
 そして、空の上から、ぼくを眺めている。
 おや、どうしたのォ?
 突然、駆けだした。
 まァ、{放|ほお}っておこう。
 彼は、知ってるんだから。
 ヒトは、戯けでも、愚かでもないことを。

 彼は、凧を追う子どもたちのように、顔をあお向けたまま、走っている。
 太陽の表を隠していた雲も、動き出した。
 すると、急に彼は、立ち止まってしまった。
 雲が、太陽から離れてしまうのを、待っているのだ。
 その雲を、随分と長く仰ぎ見ていたことにふと気づいた彼は、その視線をやっと、地上に戻した。
 {大神社|おおかむやしろ}に通ずる石畳の参道。
 そこは、浦町よりもちょっとだけ人通りが多い、いつもと変わらぬ港町の風景があるだけだった。
 雲は、カタツムリの動きにまで気を遣っているようなゆっくりとした動きで、彼が歩いてゆくその脳天を追っていた。
 そして雲は、太陽から完全に離れ、旅人になった。
 ぼくは、空でも、ひとりぼっちになった。

 ぼくは、彼になった。
 浦町に近づくにつれて、道は、恥ずかしそうに、徐々に狭くなっていった。
 右手には、古い民家。
 左に曲がる。
 そこにも、古い民家。
 それをなんどか繰り返すと、谷川沿いの峠の上り坂になった。

 その家は、家族が増えるたびに、粗末な増築をしていた。
 貧を形にした、見事な造作物だ。
 掃除が、行き届いている。
 玄関らしき構えは、どこにも見当たらない。
 ぼくは、古びた木製の引き戸を、開けようとした。
 でも、動かない。
 ぼくは、思い出した。
 力づくで引かないと、その戸は、開かないのだ。
 でも今日は、そんな力は、湧いてこない。
 だからぼくは、いつものように、濡れ縁に足を掛け、縁側の木枠の掃き出し窓を引き開けて、家の中に入った。
 そして、次に家に戻って来る家族のために、出入口の引き戸を開けておく。
 内側からは、引き戸の枠を、両手の掌でガッチリと掴めるのだ。

 家の中に目を移すと、視界が、カメラのレンズを覗いたときのように、徐々に絞られてゆく。
 床、壁、天井……。
 薄暗く、まるで、夕暮れに墓場を見渡して浮かび上がってくる墓石のようだ。
 窓は窓で、知らない故人を、映し出している。
 そんな墓石や故人を、カメラのレンズが、一つひとつ、映し出してゆく。
 木枠の小さな腰窓に、そんな故人の一人が、腰をかけている。
 カメラのレンズを、じっと見返しているように見えた。
 気になったけど、ぼくの目は、その男から視線を逸らしてしまった。
 
 ぼくは、気づいていた。
 その腰窓が、この星の本性を{抉|えぐ}り出すことを。
 真夏の真夜中に吹雪く、地獄のよな豪雪。
 締まり雪が、腰窓を{羽交|はが}い絞めにする。
 真冬の夜中には、空襲よりも激しい豪雨に襲われる。
 その豪雨は、斜面の残雪を、容赦なく殴りつける。
 流れ出た雪解け水が、洪水となって、腰窓を襲う。

 そして今、腰窓が、また何かを映し出した。
 白く美しい海鳥だ。
 キラリキラリと輝き揺らめきながら、その目が、{艶|なま}めかしく微笑んでいる。
 彼女は、白と黒を纏った修道女だった。
 そして、ぼくに向かって、手招きをした。
 ぼくの記憶を、そそのかそうとしているのだ。
 こっちにおいで。
 ぼくの大切な記憶を、奪おうとしている。

 そうなのだ。
 書くことによって、ぼくの記憶は、修道女に奪われてしまうのだ。
 ぼくが書く後裔記が長続きしない本当の理由は……。
 それを書いてしまうから、その記憶を修道女に奪われて、また書きはじめてしまう。
 だからもう、結論は、書かない。
 本音も、書かない。
 そうすれば、ぼくは、これからの人生を、本音で生きることができる。

 次は、学徒学年。
 一番、……。
 明日から、ぼくの名前は、そこで呼ばれる。

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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂